去年の暮れに埼玉県深谷市の血洗島へ行ってきました。目的は渋沢栄一の生家を尋ねる為。
渋沢栄一、高崎線に乗っていると深谷駅で「渋沢栄一生誕の地」と大きな看板を目にしますが、どういった人物で何をしたのか、まるで知りませんでした。本当に何も知らなくて逆に気になり、ある日「小説 渋沢栄一」という本を購入。
衝撃を受けました。詳細は割愛しますが、日本で最初の銀行を設立後、明治から昭和にかけて500以上(!)の企業設立と育成に尽力。商工会議所、東京電力、富岡製糸場、東京海上日動、帝国ホテル、石川島造船所、王子製紙等々誰もが知っている企業ばかりです。このことを友人知人に話すと、一様に皆びっくりします。知らないんですよね、やっぱり、私含め。凄すぎて中々理解できない、伝わらない、ということもあるのかもしれません。三井・住友・三菱に並ぶ財閥も作れたはずですが、それは栄一翁の望むところではなかったようです。それよりも「日本の為に」ただそれだけに人生を捧げた人物でした。
実は仕事を法人化する際、後押しをしてくれたのが渋沢栄一の存在でした。個人事業主としてやっていく選択肢がある一方、会社化すればそれなりに成長を求める必要があります。ではなぜ成長をする必要があるのか。そのことへの回答が見つけられずにいた時、渋沢栄一の志に心打たれました。栄一翁のように500もの企業を作ることはできないけれど、ブランディングを通じて1社でも多く企業の価値向上へのお手伝いはできるんじゃないか。その為に渋沢栄一が日本で初めて導入した「株式会社」を作ろうと思いました。
ところで、グティ社内の目のつくところに、ある人口統計表が貼ってあります。過去1200年と今後100年の人口推移を見渡せるグラフですが、ブランディングをする際、企業の存在する社会の流れ・課題を前提として把握しておく必要がります。このグラフについてはまた別の機会に触れようと思いますが、パッと見てわかるのが、明治から昭和にかけて尋常ではない上昇を示していることです。そして、もしやと思い渋沢栄一の年表を重ねてみて驚きました。

渋沢栄一が銀行を設立した頃を境に、この上昇が初まっているのです。もちろん明治維新が契機となっていることは間違いないものの、西洋の水準に追いつくべく数々のアイデアを実行に移した渋沢栄一の貢献度の大きさたるや、計り知れないものがあります。
「日本資本主義の父・渋沢栄一」もっともっと多くの人に知って貰いたい「近代日本の父」です。