「好き」はいつか「使命」になる
「好きなことで生きる!」
しばらく前からYoutuberを中心に叫ばれてきた言葉ですね。
人生は一回、悔いの残らない人生を送ろう。
そんな意味合いがあるでしょうか。
まずそもそもですが、好きなことをして生きていけるシステムやサービスがあること、さらに民主主義社会に生きていることは前提として大きくもうそれだけでだいぶハッピーですよね。
だから好きなことをして生きる、とっても素晴らしいと思います。
私の場合はどうだったかというと、20年ほど前にエンジニアの道からこちらの方向へ舵を切ったその理由はやはり「好きなことで生きる」でしたが、もうちょっとニュアンスのピントを合わせると「好きなことでしか生き残れない」でした。
当時大学の4年生で、ロボット工学研究室に所属していました。
これからはロボットの時代だと直感しロボットのエンジニアを目指しましたが、大学に入って大きな挫折を味わいます。
プログラミングが全く理解できなかったんですね。
プログラミングの世界で「バイナリアン」というらしく、プログラミングの本質的な仕組みが気になって手が止まってしまう人のことだそうです。
当時はバイナリアンという言葉も知らなかったので、本当に途方に暮れていました。
そして研究室に配属されても研究そっちのけでデザインごっこのようなことをしていたわけですが、そんな中、幾晩も研究室に泊まり込み研究を続ける同級生を目の当たりにします。
体はボロボロだけど目はキラキラしている。
なんでそんなに頑張れるのかを問うと、「好きだから」と一言。
この言葉にガーンときて「夢中になってるやつにはかなわない」と気付きました。
当時ちょうど就職氷河期が本格化したタイミングで「働く」以前に会社に入ることすら難しい時代でした。
つまりそんなに競争の激しい中において生き残れるのは誰よりも夢中になってる人間だと思ったわけです。では自分にとって、寝ても覚めても飽きずにやれることはなんだろうと思い、結果、ただの遊びでしかなかったデザインにフォーカスを当てることになりました。
当時某メーカーからの内定もいただいていたので、最後の最後まで悩みましたが辞退をさせていただき、デザイナーを目指して無職のまま卒業することになりました。
本題に戻ると、好きなことはいつか飽きる、飽きるまで行かないまでも「当たり前」になる日が来ます。
私自身、「好き!」のモチベーションが続いたのは20代までで、デザインが次第に自分にとって当たり前の存在になってくると「なぜデザインしているんだろう?」という疑問が頭をもたげて来ます。
もうデザインはいいんじゃないか、そう思い靴職人の元で修行をしていた時期もありました。(実は手縫いの靴がつくれます..)
そんな中でもほそ〜くデザインの仕事はしていたわけですが、ある日知人を通じてブランディングの相談をいただきました。
既存の事業が傾き始め、何か新しいことを始め会社を立て直したい、そんなご依頼でした。
片手間でやっていたデザインが、再び自分の真ん中に来た瞬間でした。
関連書籍を読み漁り、ブランディングの全てを叩き込んで着手、1年がかりでなんとかやり遂げ、いまでは業績もV字回復し成長を続けています。
このプロジェクトに取り掛かっている時の気持ちは20代の頃に感じていたものと全く別のものでした。
貢献
この言葉が一番しっくり来ます。
「好き」でやっていた時には正直結果にはあまり関心がありませんでした。
しかし、事業の立て直し、新規事業の開発となったらそうはいかず、結果が全てになります。
クライアント企業にどこまで貢献できるか、その一心で手がけたこのプロジェクトを通じて、デザインが自分にとって「使命」であると気づきました。
弊社のミッション
ブランディングを通じ、企業とファンをグッと結ぶことで、持続可能な経営の実現に貢献する。
このことにフォーカスしている限り、モチベーションや社会環境の変化にも左右されず、淡々とミッションを遂行し続けることができます。
私がそうであったように、まずは「好き」で始めることに躊躇する必要はないと思います。
ただし、いつかそんな自分が当たり前になった時に「使命」に気を配って考えてみると良いのかもしれないし、別の見方をすると、好きの中に自身のミッション(存在意義)が隠れているのかもしれません。
「好き」はいつか「使命」になる。